「日本のデュドックになりたい」。
倉敷の大原美術館やアイビースクエア(旧倉敷紡績工場の再生)を設計した
建築家・浦辺鎮太郎の口ぐせであった。
倉敷の町を代表する建築を造り上げ、
古い伝統的な町並みの魅力を現代によみがえらせた浦辺鎮太郎が、
心の底からあこがれたデュドックとは、どのような人であったのだろう。
10年程前、友人たちとヨーロッパを訪れた私は、途中からひとりになり、
オランダのある町を目指した。
どうしても見ておきたい建築があったのだ。
アムステルダムの南東25キロの所に、人口10万人程のヒルヴェルスムという小さな町がある。
その町の市庁舎が目的の建築であった。
小さな池のほとりにニレの樹が赤く染まり、その向こうに市庁舎は建っていた。
1930年竣工のその建築は、レンガ積みで重厚ではあるが、チャーミングで美しい。
青や金色のモザイクタイルがおしゃれで、色気があり、
とても70年前のものとは思えない。
私が訪れた時、市庁舎のギャラリーでは、
設計者であるデュドックの回顧展が開かれていた。
人生には、こんな幸運なことが本当にあるのだ。
そこには、建築家、ウィレム・マリヌス・デュドック(1884~1974)の代表作品の写真や
図面、模型、家具が展示されていた。
生涯に240あまりの建築を残したデュドックの作品のほとんどがヒルヴェルスムに
建てられた。学校、市営住宅などの公共建築を手がけたデュドックは、
この町の誇りでもあるようだ。
市庁舎の写真がプリントされたTシャツを着たボランティアの若者たちが、
エクスカーションのパンフレットを配っていた。
デュドックの建築を順番に廻れるようになっている。
結局3日間その町に滞在し、30以上の建築を歩いて見て廻った私は、
最後にもう一度市庁舎を訪れた。
建築はもとより家具から照明器具、時計まで心を込めて設計したデュドックのことが
私は大好きになっていたのだ。
会場には、彼が好きだったヘンデルの音楽が流れ、
お気に入りのワインがデュドックワインとして売られていた。
ワインのラベルには当然のように市庁舎の写真がつかわれている。
デュドックは、市民たちにいつまでも愛される最も幸せな建築家ではなかっただろうか。
浦辺鎮太郎の気持ちがしみじみと分かるような気がした。
ニレの樹の向こうの明るいレンガの建築が、今も私の心の中に建っている。
建築家 野口政司 2007年8月7日(火) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より